クラウドファンディング
2022.01.27
この記事の目次
前置きとして、当時の環境について説明します。
今でこそ投資や家計管理の情報は簡単に手に入りますが、当時はスマホなど存在せず、いわゆるガラケーが主流で、光ファイバーによる高速インターネットもまだまだ普及していない時代でした。ネットで気軽に投資や資産構築の知識を得られる時代ではなく、証券会社の情報や雑誌などが投資の情報源となっていました。
それだけ情報格差が大きい時代であったというのが、このころの事情です。
投資を始めたころは就職したてで、多くの人と同様、私も金融資産をほとんど持っていない状態からスタートしています。
今の私は会社員兼業投資家ですが、もちろん最初からそうだったわけではありません。大学を出たあとは普通の会社員として会社に入社し給与所得のみで暮らしていました。
給与は平均的なものでしたが、月の稼ぎを全て使うのではなく、少しでも貯蓄をすべき、家計をきちんと管理すべきという、ぼんやりした意識は当初からありました。
こういった考えを最初から持つことができていたのは、両親をはじめとした教育の賜物と感謝しています。
給与や賞与から10%、20%と貯蓄を行い、500万円+生活防衛資金が貯まったところで、28歳のころに投資を開始しました。投資を始めたのは何かのきっかけがあったわけではなく、単に「貯蓄が貯まった」という理由で、貯蓄を眠らせておくよりは投資したほうが良いと漠然と思っていたからです。
この考えは間違ってはいません。しかし、その後の手段は良いものとは言えませんでした。
手探りのまま私が最初の投資で何を行ったかについて紹介します。失敗談も多いですが、今となっては笑い話です。
当時の私の投資には、一貫したポリシーはありませんでした。ただ単純に宣伝されている投資商品に「とりあえずやってみよう」という安易な気持ちで色々と手を出すという、投資の上では悪手と呼ばれる手段を選んでしまっていました。
「まずやってみよう」は、悪いことだとは思いません。しかし、ろくに勉強せずに多方向に手を出したことは褒められるどころか、もし過去に戻れるなら当時の自分を羽交い締めにして止めたいくらいです。
そんな安易な気持ちで色々手を出したものですから、もうオチは分かったと思います。
株の高値掴みは一度や二度ではなく、当時流行の毎月分配型投資信託に手を出して、結局は特別分配金というタコ足配当を得ただけで、損切りをしたこともあります。
FXに手を出してロスカットを食らったことも数度。新興国通貨の下げを受けて外貨建て債券で大きな損を出したこと、はたまたライブドア株を溶かしたことなど、小さな失敗からかなり大きな失敗まで枚挙にいとまがありません。
様々な失敗で損を出してきた私ですが、損をすることもあれば得をすることもあるのが投資の世界。
M&Aが発表された会社の株を抽選購入した後、2日連続ストップ高で売り抜けたことや、とある小売店の株を買ったまま忘れていたら株価が3倍に増えていた、ということもありました。結局、28歳で始めたポリシー無き投資はその後10年近く、勝ったり負けたりで通算成績はほぼプラマイゼロか、わずかにプラス程度。
今から考えれば、信用取引をしなくて良かったと心の底から思います。
クラウドファンディングを行う前に経験した、最大の損失と最大の利益を紹介します。
私の投資遍歴のなかで最大の損失となったのは、リーマンショックのときでした。
保有していた投資商品の価値が軒並み暴落し、狼狽のあまり株や投資信託の大部分を売り払い、500万円近くの損失を出しました。
目の前で資産が急に溶けていく様を見せられると「損失が出てもいいから一刻も早くリセットしたい」という考えにとりつかれてしまいました。
投資にはリスクがつきもので、暴落も必ず起こるもの。分かっていたのにその覚悟がなかったというのは、投資家として未熟だったと言わざるを得ません。
最大の利益を生んだ投資は、2012年の衆議院解散と政権交代でした。
株価が大きく上昇するタイミングのことを「稲妻が輝く瞬間」と表現することがありますが、私にとってはこの時がそれでした。この時に定期預金や国債を解約して資金を作り、そのほとんど全てを株や投信などの投資商品に変えました。
その後2014年頃、いわゆる「黒田バズーカ第2弾」のころに投資商品の大半を売り払うことで、資産を倍以上に増やすことに成功しました。結果だけを見れば、私の投資はこの時点では成功です。
しかしこの時に感じたのは、達成感や喜びよりもむしろ疲れでした。
私の投資遍歴で唯一の大成功の後に残ったのは、「私は値動きのある投資商品には向いていない」という自覚。
ここから私のインカムゲイン投資への転向が始まり、クラウドファンディング投資に進んでいくことになります。
そのことについては、次回の記事で紹介します。